鉄道の小部屋

日本の蒸機  ※年号は復活初年ではなくぼのぼのが初撮影した年です

現役時代 (〜1975y 昭和50年) 時に昭和47年、気づけば動力近代化計画の晩年。できうる限り蒸機見物に出かけた、但し哀しいかなカメラは持っておらず記録はなく記憶のみ。最晩年の昭和50年にやっとこカメラを手に入れたものの使いこなせずロクでもない記録が数葉残るのみというトホホな結果で日本の蒸機達は忘却の彼方へと去って行ってしまった・・・・・・・・
C62 3 (1993y,1995y)
 
現役時代は既に急行運用を外れていたが一応重連運用は見ることはできた。(見るだけね)
そして奇跡の復活後も行きたい気持ちだけが先走りなかなか実現しなかった。
スケジュールの合間を縫ってやっとこ実現に漕ぎ着けたのは1993年、そして2回目がラストイヤーの1995年
どうもぼのぼのはC62とは相性が良くないようである。
C61 20 (2011y〜) C62なき後、久々のハドソン。上越線で復活、その後JR東の各線区で運行されている。ぼのぼのは上越線と内房線で出会っている。
C58 363 (1988y〜) 秩父鉄道で復活後、しばしばJRにも貸し出され順調に走っていたが2012年8月6日に車両基地内で脱線し2012年度の運行はリタイアするものの、2013年3月に無事復活。ぼのぼのは秩父線、磐越西線、水郡線で出会っている。
C58 239 (2014y〜)
 
2014年4月12日から釜石線で運転開始したSL銀河の牽引機
現在のところ他線区での運転は無い、もちろんぼのぼのも釜石線で出会っている。
C57 1 (1983y〜) いわずと知れた国鉄復活蒸機第一号。地味に遠いので遠征回数は多くない。
初遠征の1983年当時はまだC581が相棒でしばし重連運用をしていたがタイミングが合わず気付けばC58は静態保存になっていた。その後はC56160が相棒となり現在まで時に重連で、時に単機で現在まで走り続けている。
ぼのぼのは山口線、北陸線で出会っている。
C57 180 (2004y〜) 磐越西線で復活、現在までレギュラー運行を続けている。しばしば上越線にも遠征するが、搭載ATSの関係で磐越西線以外では運行に制限がある。上越線での運行の場合必ず重連次位、つまり前補機をつけた本務機のポジションとなる。
ぼのぼのは磐越西線、上越線で出会っている。
C56 160 (1985y〜) 小回りが効く小型機ゆえ神出鬼没度はナンバーワン
ぼのぼのは水郡線、小浜線、高山線で出会っている。
C12 66 (1993y〜) 真岡で復活後、ロケ列車として留萌線で運行されたりしているがぼのぼのは真岡線でしか出会えていない。
C11 325 (2001y〜) これまた真岡で復活後、JRに貸し出されて各地で運行されているがぼのぼのは殆ど只見線でしか出会えていない。
C11 171 (2000y〜) 留萌線で復活後、釧網線でレギュラー運行中だがこれまた地味に遠いので出会えたのは2000年1月の1回のみ・・・・
C11 207 出会う前に鬼籍入りしてしまったw
D51 498 (1988y〜) オリエント急行'88で復活、上越線がベースだがJR東の各線で運行されている。
ぼのぼのは上越線、羽越線、磐越西線で出会っている。
58654 (1989y〜) 豊肥線で復活、2005年までレギュラー運行していたが遂に運用離脱。このまま用途廃止かと思われたが2009年台枠を新製するなどの大工事の末奇跡の復活、ベースを肥薩線に移しレギュラー運行されている。
ぼのぼのは豊肥線でのみ出会っている。
大井川鐡道 (1975y〜) 国鉄の蒸機全廃の1976年から本線で蒸機列車をレギュラー運行している。井川線ではその前から千頭〜川根両国の一駅間だがコッペル1号が走っていた。現在は本線のみの運行であるが蒸機は4両、客車は20両以上在籍し日によっては蒸機列車が3本という現役時代の閑散線区並の運転頻度となる。ぼのぼのも四季折々のロケーションの中彼らに出会っている。


※この後、随時増補してゆきます※