日本から蒸機の煙が消えて4ヶ月、なかなか興味の沸く被写体が無くボーッとしていたが、夏になりボチボチ撮影がしたくなり、はて何を撮ったものかと考えた挙句、食指が動いたのは旧型の気道車と客車列車だった。当時は客車といえば特急用の20系、14系、24系寝台、急行用に10系寝台、波動用に12系14系座席、一般用に10系、35系、43系、60系等の旧型と用途が明確に分かれていた。50系はデビュー前なので、いわゆるドン行列車は100パーセント旧型客車だった。
見方を変えれば機関車が蒸機から電機やディーゼル機に変わっただけなので、割とスンナリなじむことが出来た。蒸機時代から気付かぬうちに何度も乗っていた客車達なので懐かしさも手伝って、新たなるテツへの意気込みがメラメラと燃え上がったものだった。
また気道車は80系、181系特急型、58系、65系急行型、55系準急型、10系、20系、、45系一般型、35系通勤型とバラエティに富み、しかも特急型以外はどれも混結が可能でデコボコの百鬼夜行的な編成が全国で展開していた。
20系ブルートレインや80系気動車の整った長大編成も美しいが、異形式で組成された2〜3両のローカル列車は趣味的に見ても興味深い存在だった。
また福知山線は現在でこそ大阪のベッドタウンを走る通勤路線だが、当時は非電化単線のローカル線で生瀬〜武田尾間の旧線は川に沿った崖っぷちを走る隘路だった。
現在では想像もつかないロケーションと車輌である。
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生瀬〜武田尾間(旧線) DD51+旧客
現在は複線電化の別線を電車が軽快に走っていおり当時の面影は全く無い |
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| 宝塚駅も当時はこんなにローカルだった |
キロ25格下げのキハ26−400番台 こんな車輌がゴロゴロ居た |

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またこの頃はDD54の最晩年だった。日本と並び液体式DLの優れた技術を持っていた西ドイツ(当時)との提携で生まれたヨーロピアンテイストの薫るこのDLは、亜幹線の主役となるべく誕生し、お召し列車を牽引したり、一時は特急運用にも就いていた。
しかしテツの皆さんなら先刻ご承知であろうが推進軸折損による棒高跳び事故や、エンジン、変速機のトラブルの頻発、混血ゆえのメンテナンスの煩雑さから現場で嫌われ、次第にDD51に取り替わっていった。
昭和51年7月当時、生き残ったDD54は福知山機関区に集中配置され、定期運用は福知山線と播但線のみだったが、日程の都合で播但線は訪れることが出来なかった。今思えば無理してでも行けばよかったと後悔のみが残っている。(いつもこのパターンだな・・・) |
| 篠山口〜南矢代間 |
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| 2点とも篠山口駅 |

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| DD54が集中配置されていた福知山機関区 |
まだそれ程珍しくなかったDF50客レ 和田山駅 |
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| 当時の小運転列車の典型的スタイル DE10客レ |
客レ同士の交換 こんな光景は日常だった |
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米子駅で憩うDF50
当時はここ山陰と宮崎にマン型500番台が、紀勢線と四国にスルザー型0番台がそこそこの数配置され元気に働いていた |

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| 伯備線での試験後米子駅構内に留置されていたキハ391ガスタービン車 |
これだけは現在も変わらない DD51出雲
当時の運転区間は東京〜浜田間だった
(※残念ながら2006年3月のダイヤ改正で廃止) |

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キハ80系あさしお 和田山駅
現在では列車名自体が無い 文字だけのヘッドマークも懐かしい |
キハ181系やくも 揖屋〜荒島間
つばさと並んで希少価値の気動車のL特急だった
また全列車食堂営業をしていた |
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