Zimfest2001

2001年7月から1ヶ月以上にわたってアフリカ、ジンバブエを中心に南ア、ボツワナ、ザンビア等で動態蒸機を運転する大イベントZimfest2001がヨーロッパ人の鉄道趣味団体の主導で開催されました。このイベントに10日間ですが参加する機会を得ましたのでその模様をご報告したいと思います。
7月4日に成田を発ち、香港、ヨハネスブルグを経由して丸々1日掛けてジンバブエ、ブラワヨに到着しました。そこからクルマで約1時間、ブラワヨのスチームシェッド(いわゆる機関区)に着いてア然としました。もうすっかり無煙化を終えたはずにジンバブエで驚くほどの数のガラットが煙を上げていました。確かに本線の定期列車を牽く事は無い様ですが、駅まで客車を回送して来たり、構内の入換に従事したりまだまだ現役の感がありました。
また、専用線に目を向ければそれこそバリバリの現役でした。長いセキ編成の先頭にたって力闘するガラットはそれは逞しいものでした。今まで写真でしか見た事の無かったガラットが今自分の目の前を通過している、これは実際に行って見なければ経験できない感動です。遥か遠くの国へ行くのは容易ではありませんが重い腰を上げて向かった先には必ずや大きな感動が待っていると思うと行かずにはいれなくなります。時間の問題、資金の問題等クリアしなければならない課題が山積ですが、それらを乗り越えて達成しえた時の感動は何者にもかえられません。今回の修行をバネに、更なる未知の鉄道の探索に情熱を傾けたいと決心しました。

2001年7月5日 NRZ(ジンバブエ国鉄) ブラワヨ スチームシェッド(機関区)

7月5日午後日本から丸1日以上かけてジンバブエ、ブラワヨに到着しました。まずはご挨拶にと機関区を訪ねる事にしました。
空港から約1時間、ブラワヨの街中に機関区はありました。先にも書いたとおり想像以上にカマが居り、これからの撮影への期待がいやがうえにも盛り上がりました。
機関区の職員も皆フランクで気軽に声を掛けてきました。長い間イギリスの植民地だった為文化は完全にウエスタンスタイルで、食事等も全く問題なく食べられました。(私は見かけによらず腹が弱く、よく中る。初めての訪中の時は3日目には食事できなくなった。)また通行区分も左側通行で日本と同じ、更に鉄道の軌間もサブロク(1067mm)でこれまた日本と一緒。このように日本との共通点があるだけで何となく落ち着くのは不思議です。必ず壁となる言葉は現地の人たちは地元の言葉ショナ語やンデベレ語で会話していますが、公用語は英語なのでホテルや駅ではカタコトながら何とかコミュニケーションは取れました。

スチームシェッド内で休む 15A,16Aガラット 15Aガラットの前でほくそえむ私
15Aガラットの全景と特徴的なキャブ付近
判りやすい注意喚起標識 16Aガラット
Servicecarと呼ばれる列車運行に関わる職員の乗る客車 9Bテンダ 2D配置だが雰囲気は9600に近かった
とてもフランクなNRZ職員

2001年7月6日 ボツワナ セレベピークィ炭鉱

7月5日スチームシェッドの撮影後、翌日の撮影地ボツワナのセレベピークィに陸路移動しました。夕刻には到着して機関区の見学くらいは出来る予定でしたが、国境での入出国に思いの外時間がかかり到着したのは夜の7時過ぎになってしまいました。
テレビでしか見た事のない陸路での国境越えは結構エキサイティングでした。外国人の列に並び順番を待つのですが5時になったらそこで終わり、翌日まで待たされるそうでハラハラしましたが何とか間に合いました。入国審査の時にTokyo,Japanだけでなく細かい住所まで書かされたのは意外でした。
さて、一夜明けて7月6日早速セレベピークィ炭鉱を訪ねました。19Dテンダと14Aガラットがいると聞いていたのですが、残念ながら19Dのみでガラットの姿は有りませんでした。
しかしどのカマもよく手入れされ非常に美しい姿を保っていました。タンク車そのままの様な6軸の大型テンダーが外国型の雰囲気をプンプンさせていました。製造年も1948年から1952年と比較的新しいパワフルな近代蒸機でした。

 
朝もやの中を出区してくる19D
朝陽にカマをギラつかせて
19D最大の特徴、タンク車そのまんまのテンダ
蒸機のカマ替え作業は万国共通 仕業に向けて待機
鉱石を満載してプラントを発車する列車 カマも快調、カマ氏も上機嫌

2001年7月7日 ジンバブエ国鉄 最大級ガラット 20thクラス ブラワヨ〜プラムツリー間往復

7月7日は今回の旅のハイライト、20thガラット牽引の特別列車が運転されました。ブラワヨからボツワナ国境に近いプラムツリーまで往路は貨物と客レと2列車で走り、復路は1列車にまとめて重連で帰ると言うなかなかエキサイティングな企画でした。
しかしこの日は乾季だと言うのにあろうことか雨降り、しかも日本の裏側にあるこの国は7月は冬で結構寒い。線路端で列車を待っている間にズブ濡れになり寒くて風邪を引くんじゃないかと思いました。イメージだと暑い国であるアフリカがこんなに寒い所とは行くまで解かりませんでした。それでも現地の人たちは半袖に半ズボンで平気な顔をしています。
そんな訳で青空スカーンの写真は撮れず、霧に煙った絵ばかりになってしまいました。夕方にやっと雲が切れてかろうじて夕陽のシルエットが撮れたのがせめてもの救いでした。
それにしてもガラットというやつは見れば見るほど不思議なカマです。水事情の悪い土地を走る為前部に水タンクを増強して長くなった台枠にもう1組走り装置をつけ出力も増強したと言うかなりコアな造りです。但しボイラは1本で火格子面積も同クラスのテンダ機と同じなので出力は2倍にはならず、約1.5倍と言う事です。世界的には普及しなかったガラットもここアフリカではすっかり風土になじみ溶け込んでいる感じがしました。もしこれが大井川あたりで走ったら相当なキワモノと映ることでしょう。(同じ1067mm軌間なので可能だが・・・)

雨のKahmi駅に到着したNo.730牽引の貨物列車 Figtree駅を発車
         Syringa付近を快調に飛ばすNo.730
Marula駅を発車
プラムツリー駅

ここで2列車を1本にまとめ、20両編成以上の混合列車を組成し、
それを20thガラット重連で牽引してブラワヨへ戻る
夕暮の中、PlumtreeからBulawayoへ折り返すNo.730+No.740の重連
踏切を轟音と共に通過 黄昏に映える重連

2001年7月8日 ブラワヨ〜デーテ フォトラン

この日は朝からチャーター列車に乗り込みフォトランしながらデーテという駅まで行き、そこからクルマでヴィクトリアフォールズまで移動すると言う結構な強行軍でした。
予定では朝8時に出発して15時半にはデーテに着く予定でしたが、出発準備から遅れ始め発車は約2時間遅れ、その後も給水や対向列車との交換に思いの外時間がかかりデーテに着いたのは夜9時過ぎでした。予定通り着いていたらサファリクルーズをする予定だった欧米人たちも諦めて各々の宿泊場所へと散っていきました。我々も宿泊地のヴィクトリアフォールズへクルマで移動しましたが約2時間かかり到着は11時過ぎ、それからウルトラ遅い夕食をとって部屋にもどったのは0時を回っていました。ブラワヨから約450キロを15時間余りかけて移動したわけで、さすがの私も少々疲れました。

ブラワヨ駅で発車を待つ12thクラス 最初のランパスポイント Tenela付近を行く12thクラス牽引の混合列車
Highfields付近を快走 Sawmills駅で貨物列車を待避
Sawmills発車 Sawmills付近でロバ荷車と2ショット
沿線で出逢った子供達。皆陽気でフランク、しかし冬なのに薄着で殆どの子が裸足だった。
1930年製の食堂車、No.646`Kariba` ウッディな車内で飲むザンベジビールは格別
夕陽のサバンナを行く12thクラス

2001年7月9日 ヴィクトリアフォールズ、ワンキー鉱山

この日はザンビア国鉄の12thクラスの牽くSteam Africa Expressに乗車してザンビアに入り鉄道博物館を見学する乗りテツ組と、その列車をヘリから空撮する撮りテツ組とに分かれての行動となりました。もちろん私は撮りテツ組でした。まず行きは滝に掛かる鉄橋を通過するシーンを抑え、帰りは時間を見計らって離陸し滝を絡めて空撮の予定でした。
行きの鉄橋のシーンは問題なく撮れましたが、返しの空撮は結局空振りに終わってしまいました。金銭的事情からヘリをチャーターできるのは僅か15分なのではじめからバクチでした。ヘリポートからザンビア側のLivingstone駅に確認を取る事は結局出来ず、仕方なく定時運行してる事を祈って離陸しました。しかーし、列車はおろか煙すら見えぬまま時間はあれよあれよと言う間に過ぎ、気付いてみれば滝を撮っただけで終わってしまいましたが、雄大なスケールで滝を上空から見物できたので良しとしました。
午後からはワンキー鉱山専用線を訪ねました。鉱山の中に機関区が有り、16Dガラットや16Dテンダが煙を上げておりました。鉱山から国鉄線に接続するトムソンジャンクションまで長編成のセキを牽引して走る姿はカマの形こそ違えど日本の炭鉱路線で見たそれとオーバーラップしました。また、ここの機関区でもカマしか見かけなかったので(他にDLのクラがあれば別だが)まだまだ現役バリバリと言ったカンジでした。日本ではまず紹介されないこういった知られざる蒸機鉄道がまだまだ有るんだな、地球は広いなと改めて思いました。

ヴィクトリアフォールズ駅にて
 この日は月に1度だけ来るブルートレインが来ていた、幸運
ザンビア国鉄の12thクラスのキャブにて
Steam Africa Express ヴィクトリアフォールズ駅発車 滝に掛かる鉄橋を行くSteam Africa Express
空から眺めたヴィクトリアフォールズ 雄大の一言
鉱山からトムソンジャンクションへ向けて発車 機関区で憩う16Dガラット&テンダ
トムソンジャンクションに到着 セキ編成を切り離し鉱山へ戻る

2001年7月10日 デーテ〜ブラワヨ フォトラン

この日は一昨日来た道をフォトランしながらブラワヨへ戻る日です。毎度の事ですがこの日も予定通りに列車は走らずデーテ7:00発、ブラワヨ14:42着の予定は大幅に狂い実際はデーテ発が9:00位、ブラワヨ着は19:30位でした。この日の夕食はブラワヨのスチームシェッドで17:00からバーベキューの予定でしたが我々が着いたのは20:00近くでケータリングのスタッフも待ちくたびれたと言った表情でした。

Dete駅を猛ダッシュで発車 Deteを出て間もなく後続の貨物列車に道を譲る
Ingwe付近で脱線転覆したまま放置された貨車、更にこれらの貨車を避ける為に本線の線路が曲げられていた。我が国では考えられない対処だ。
出発から殆ど無ダイヤ状態なので交換や待避があれば止まり、閉塞が開けば発車すると言う極めてノンビリした道中。定時運行はまず不可能。

2001年7月11日 多分最初で最後の経験になるであろうガラットの脱線に遭遇

この日は撮影最終日で、本来なら南ア国鉄最大級の25NC(4−8−4の大型テンダ機)をDorsetからBulawayoまで約270キロ追っかけ撮影をする予定でしたが、あろうことか昨夜のスチームシェッドのバーベキュー会場で「25NCは途中で脱線した為、明日の撮影スケジュールはキャンセルになりました」と全身の力が抜けるような情報が飛び込んできました。
しかし来ないものは来ないのではてどうしたものかと思案していたらZimfestのスタッフらしい年配のヨーロッパ人が「代わりに20thガラットをセメント工場に走らせるからそれを撮影したら?」と言われたので素直にそうする事にしました。全く土地勘の無いブラワヨの街を一人で歩く自信は有りませんでした。
明けて11日、25NCを狙っていた人は意外と多かったようで、約20人の団体がスチームシェッドの朝風景を撮影後、セメント工場の撮影に行くという事でした。
スチームシェッドでひとしきり撮影後、陸橋の上でガラットを待ちましたがやってきたのはカブース1両だけを牽いた20thガラットNo.730、そう7日に客レ牽いていたカマでした。少々拍子抜けしましたが復路はセメント貨車を連ねた走りが撮れるだろうとタカをくくりセメント工場に移動しました。ヤードには多数のセメント貨車が停まっており、カブースを切り離したガラットが入換作業の為ヤードに入っていく姿を見送り、その場所で迫力の牽き出しを狙うべく撮影準備をしました。しかし、いつまでたってもガラットは戻って来ず、入換をしている様子も有りません。いい加減しびれを切らして一旦カメラを撤収しガラットの行った方へ移動しました。暫く歩くと単機で停車しているガラットが見えてきました。この時点ではまだ到着貨物でも待っているんだろうと思っていました。しかしカマに近づいてみてア然としました。なんと脱線しておりました。転線の際ポイントを破壊したようでした。国鉄職員によれば復旧に2日はかかるだろうとのハナシだったので残念ながら迫力の発車シーンを見る事は叶いませんでした。
あすはもう帰国の日ですがフライトの都合ブラワヨからの便は無くハラレからなので、今日中にハラレに移動せねばならず脱線ガラットに別れを告げた後最後にもう1度スチームシェッドを訪れ、ガラットたちを目に焼きつけて今回の旅は終わりました。

朝もやの立ちこめるスチームシェッド。ガラットたちは仕業点検に余念が無い。
セメント工場に向かう20thガラットとカブース ガラットの通過でへし折れたポイント
先輪のみならず動輪も殆ど全て脱線し立往生